「よかったら、次のチーム、まとめてもらえませんか?」
そう言われたとき、心のどこかで嬉しさを感じていた。 信頼されたのかもしれない。評価されたのかもしれない。
でも同時に、ふと背中に冷たい風が吹いた気がした。 それは、チームの空気が変わったような……そんな気配だった。
評価されるということが、なぜか怖く感じた
ずっと一緒に働いてきた人たち。 その中で、ある日突然「一歩前に出る」ことを求められる。
- 「どうしてあの人が?」
- 「私の方が長くいるのに」
- 「急に偉そうにしないでよ」
そんな言葉を誰かが発したわけではない。 でも、目の奥に、言葉の行間に、わずかな違和感が生まれる。
評価されたことが、なぜか「孤立」へとつながっていくような不安。
「仲間」でいたい。でも、少しだけ「役割」が違う
派遣という立場であっても、 業務の中で積み重ねてきたものが認められれば、 任されるポジションや責任も少しずつ変わっていくことがある。
でも、それは自分の「関係性の立ち位置」まで変えてしまうこともある。
リーダーという役割を与えられても、
- 今まで通り話しかけていいのか?
- 気軽に雑談してもいいのか?
- 注意や指示を出したらどう思われるのか?
そんなふうに、今まで当たり前にできていたことに “ためらい”が生まれてしまう。
上に立つということは、線を引くことじゃない
人の上に立つということは、 決して「上から見下ろす」ことではないと思う。
むしろ、
“全体を見る”こと、そして“全体を支える”こと。
だからこそ、どこかで「一線を引かれた」と感じたとき、 それに傷つく必要はないのかもしれない。
線があるのではなく、“見えている景色が変わっただけ”。 そして、そこからの景色でしか見えないことが、きっとある。
それでも冷たい目を感じたとき、自分にできることは?
どれだけ丁寧に接しても、 どれだけ変わらずにいようとしても、 全ての人に分かってもらえるとは限らない。
- 「変わってしまった」と思われること
- 「距離ができた」と言われること
それが、たとえ誤解だとしても、起こってしまうことがある。
でもそこで、自分を否定するのではなく、
「私がやるべきことは何か?」 「この立場だからこそ、できることは何か?」
そんなふうに、自分の“役割”と“在り方”に立ち返ることが、 心の居場所を保つ手がかりになる気がする。
自分を誇るのではなく、自分の“誠実さ”を信じる
評価されたことを喜んでいい。 でも、誇らしくなりすぎなくてもいい。
人の上に立ったとき、 「どう見られるか」よりも、「どうあろうとするか」を大切にしたい。
その姿勢は、きっと誰かが見てくれている。
そして何より、
自分が自分を信じられるかどうか。
それが、評価されたあとに迷いながらも、 “自分の場所”を見つけていくための支えになるのだと思う。
まとめ:心が揺れるときこそ、自分の在り方に気づけるとき
リーダーに抜擢されたことは、誇っていいこと。 でもその分、見える景色も、感じる空気も、少しずつ変わってくる。
戸惑うのは自然なこと。 そして、人の目が気になるのも、誠実に向き合っている証拠。
でも、たとえすぐに答えが見つからなくても、 心の中に「こう在りたい」という灯があれば、それで十分。
それが、あなたの“心の居場所”になっていくから。
「同じような経験がある…」という方、ぜひあなたの気持ちを教えてください🌿
それぞれの在り方に、正解はないと思うからこそ──。
📌 リーダーを任され、視線に悩みながら──
さらに戸惑ったのは、自分よりも“できすぎな部下”の存在でした。
支え、まとめるとはどういうことなのか。心が揺れた日々の記録です👇
▶ できすぎな部下に、私はどう向き合えばいい?──リーダーになった私の戸惑いと学び
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